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個人の原則は「する」と「しない」、どちらで書くべきか

結論から言うと、基本は「する」の形で書くこと。それがいざという瞬間に実際に使える形だからです。ただし、すべての原則を無理やりこの型にはめる必要はありません。中には、越えてはいけない一線そのものを示すための原則もあり、それを無理に前向きな行動に書き直すと、もともと明確だった境界線がかえって曖昧になります。

言い回しが「その瞬間」を変える理由

「子どもに大声を出さない」と「声が上がりそうになったら、声を落として最後まで話す」は同じ失敗を防ごうとしていますが、本当に大事な数秒間に手渡してくれるものが違います。前者はすでに何がまずかったかを教えてくれるだけです。後者は、まずくなる前に今何をすべきかを教えてくれます。苛立ちが高まる、締め切りが急に早まる、断りたい頼み事を持った誰かが目の前に立っている——そんな圧のかかった状況で、その場でとっさに良い一手を思いつく余裕はまずありません。行動として書かれた原則は、必要になる前からすでに決めてある一手であり、禁止として書かれた原則は、たいてい一線を越えたあとになって気づくものです。

「しない」の方が誠実な場合

すべての原則が「代わりに何をするか」の話ではありません。中には、ある一線そのものが本質という原則もあり、それを無理に前向きな表現にすると、もとの意味がぼやけます。「問題を小さく見せるために嘘をつかない」は代わりの行動を付け足す必要がありません——大事なのはその一線自体であり、これを「正確に話す」と言い換えようとすると、その原則が本来持っていた「ある選択肢を明確に排除する」という一番役立つ部分が弱くなってしまいます。誠実さ、忠実さ、人の手柄を横取りしないといった、インテグリティに関わる原則はたいていここに属します。こうした原則の価値は、ある選択肢を完全に閉じることにあり、行動形に書き直すと、もともと閉じていたはずの扉が知らないうちにまた開いてしまうことがあります。

純粋な「しない」原則が振り返りの場面でつまずく理由

禁止だけで書かれた原則が本当に困るのは、書いている時ではなく、あとで振り返るときです。「陰口を言わない」はほとんど毎日成立してしまいます。単純な話、たいていの日には陰口を言う機会自体がないからです。今日起きた何かを指さして、これがこの原則を実践した瞬間だったと言えません。行動基準には観察できる何かが必要で、「何も起きなかったこと」は観察対象としては心もとない。原則を本当に守れたのか、そもそも試される場面がなかっただけなのか、区別がつかないからです。だからこそ「しない」だけで組み立てたチェックは、その日原則が本当に試されたかどうかに関わらず、いつのまにか全部合格の形式的な記録になりがちです。

言い回しを確かめる簡単なテスト

書きかけの原則それぞれについて、こう問うてみてください。まさにその場面に立ったとき、自分は具体的に何を違うふうにするだろうか。一息置く、ひとこと確認する、スマホを置く、その数字を口に出す——そんな具体的な答えがすぐ浮かぶなら、その行動をそのまま原則として書きます。その方が実際の場面でも使いやすく、あとで正直にチェックもしやすいからです。正直な答えが「何もしない、ただその悪いことをしないだけ」に近いなら、その原則は「しない」の形のままでいい可能性が高い。その場合に本当に役立つのは、代わりの行動を無理にひねり出すことではなく、その一線自体をもっとはっきり具体的にすることです。

たいていの原則は両方を必要とする

この二つの言い回しは、同じ一文の座を奪い合っているわけではありません。一つの原則が、線をはっきり示す短い「しない」の一文と、その線が守られたかを判断するための、行動として書かれた行動基準とを、別々に持つことができます。「お金の都合で友人との付き合いを決めない」がその線であり、「相手に借りがあってもなくても、連絡をくれた友人には一週間以内に返事をする」がその下にある観察可能な行動で、実際に毎日のチェックインに入るのはこちらの方です。禁止は自分が何を信じているかを教えてくれます。行動は——そして最終的には記録は——それを本当に実践できたかどうかを教えてくれます。

CreedOSはおおよそこの考え方で作られています。信条の原則そのものは、自分の信念にしっくりくる言葉で書けばよく、そこに別途、二つか三つの行動基準を付け加えます。行動基準は必ず「今日それが起きたか、起きなかったか」で答えられる具体的な行動として書きます——毎日のチェックインとレビューが実際に動くのはこの部分です。6つのテンプレートカテゴリーが編集のたたき台になりますし、漠然とした考えをAIに下書きしてもらい、そこから書き直していくこともできます。無料で、アプリ内課金もありません。