個人の信条をどう書くか
個人の信条とは、疲れているとき、急いでいるとき、あるいは誰かに説得されて立場を譲りそうになったときに、拠り所にできる一文のはずです。卒業アルバムやチームビルディングのスライドに書く綺麗な言葉ではありません。多くの人が書く信条は、一度も試される前にすでに機能を失っています。自分に対する褒め言葉として書かれていて、実際に破れるルールになっていないからです。ここでは、調子の悪い火曜日でもまだ意味を持つ信条の書き方を紹介します。
ほとんどの信条が紙の上で死んでいる理由
誰かに個人の信条を書かせると、よく出てくるのは「常に全力を尽くす」や「快適さより勇気を選ぶ」といった一文です。どちらも口にすると気持ちがいいのですが、どちらも破ることができません。「あの午後、自分は確かにこれを破った」と正直に指させる場面がひとつも存在しないからです。誰にも破れない一文は信条ではなく、信条の格好をした気分にすぎません。そして気分は、調子の悪い一週間を乗り越えられません。
見分け方は単純です。それに違反したと言える具体的な瞬間を描写できないなら、読んで気持ちよくなるための一文を書いただけで、決断のために書いたことにはなっていません。
すでに自分が取っている立場から始める
「何を信じるべきか」から考え始めないでください。卒業式のスピーチやコーチ、あるいは以前印象づけたかった誰かから借りてきた言葉で答えてしまいます。代わりに、実際にあった出来事から始めます。最近、難しいほうを選び、その選択を今でも擁護できる場面。あるいは選ばなかったけれど、今も引っかかっている場面。そのとき実際に何をして、何を犠牲にしたのか。その具体的な答えこそが材料であり、その裏にある抽象的な美徳ではありません。すでに自分がした何かから掘り出した信条は信用できます。理想から発明した信条は、体裁の良い願い事にすぎません。
口に出して言える一文にする
信条はもともと唱えるためのものであり、しまっておくためのものではありません——誰かに実際に唱えて聞かせるつもりがなくても、これは有効な検証法です。一人称、現在形で書き、一般的に称賛していることではなく、プレッシャーの下で実際に何をするかを描写できるくらい具体的にします。「誠実さ」ではいけません。それはカテゴリーです。「誠実であれ」でもいけません。それは誰に向けたものでもない命令です。「今夜、優しい嘘のほうが楽でも、自分は本当のことを言う」と試してみてください。読み返します。ポスターに印刷されていそうな響きなら、それはまだ自分のものになっていません。自分の声で、自分の人生について言っているように聞こえるまで書き直します。
指し示せるものを付ける
この段階が、信条が書いた週を越えて生き残るかどうかを決めます。信じている一文であることと、確認できる一文であることは別です。その下に、行動基準を二つか三つ書きます。一日中あなたについて回った見知らぬ人が、はい・いいえで答えられるような、観察可能な行動です。
信条:今夜、優しい嘘のほうが楽でも、自分は本当のことを言う。
- 意見を求められたら、まず実際の問いに答えてから、言い方を和らげる。
- 会議で、あとでこっそり撤回するつもりのことには同意しない。
- 言ったことについて考えが変わったら、戻って伝える。以前の発言をそのままにしておかない。
これらは確認するのに手間がかからず、ごまかすのは難しいことに気づくはずです。そして、それぞれ単独で差し替えられることにも気づくはずです。ある基準が状況に合わなくなったら、上の一文には触れずにその基準だけを書き直します。信条は安定したまま、それを支える証拠のほうが変わっていきます。
信条は一つか、複数か
人生全体を統べる一文をひとつだけ持ちたい人もいます。ほとんどの人には、実際に摩擦がある場所——お金、仕事、自分を頼りにしている人への接し方——にそれぞれ向けた二つか三つのほうが向いています。人生のすべての領域に専用の信条を用意する必要はありません。自分がいつも引っかかる場所に書くのであって、「意見を持つべきだと感じる場所」に書くのではありません。すでにうまくいっている領域に誰も使わない信条を用意しても、レビューのときに読む量が増えるだけで、得るものはありません。
本当につらかった一日にあてはめて検証する
その言葉を信用する前に、この一年で一番つらかった本物の状況——楽なほうを選びたい誘惑が本当に強かった場面——を思い出し、信条をあてはめてみます。結果は正直に言って二通りです。信条があれば実際の行動が変わっていたなら、それには力があるということなので、残します。それでも押し切られていただろうなら、その一文がそもそも自分の本心ではなかったか、その下にまだ書かれていない、もっと強い立場が隠れているかのどちらかです。それを見つけてください。たいてい、最初に書いた一文よりそちらのほうが重要です。
信条を静かに置物に変えてしまうもの
- 借りてきた言葉。他人の口から出ると心地よく響いた言葉は、自分の口では成立しないことが多いです。破りたい衝動を一度も感じたことがないなら、そもそも何も統べていなかったということです。
- 記念碑として扱うこと。人生のある時期——厳しい上司、苦しい一年、悲しみの中にいた期間——を乗り切るために書いた信条は、その時期より長く生き延びてしまうことがあります。問題がなくなったあとも義理で守り続けるのは、信念ではなく、統べるものが何もなくなったルールです。
- 下に行動基準がないこと。観察できるものが付いていなければ、信条は間違えようがなく、確認しようもありません。半年後、自分がそれを実際に生きているのか、ただ好きだったことを覚えているだけなのか分からなくなります。
- 誰かに見せるために書くこと。他人が読んで感心するように書かれた信条は、間違った読者に向けて最適化されています。自分にだけ言うつもりの版を書いてください。
現実的な最初の一歩
まず一つ書きます。行動基準を二つ付けます。数週間持ち歩いてから、完成とみなします。実際の日々にあてはめて検証した二週間後のバージョンは、まだ何の代償も払っていないうちに一気に書いた最初のバージョンより、必ず良くなっています。
CreedOS の中の信条が持とうとしているのも、ほぼこの形です。タイトル、自分の言葉で書いた由来の説明、そしてその下に、自分にだけ意味が通じればいい行動基準が二つか三つ付いています。毎日のチェックインでは、それを生きられたかどうかをただ記録するだけで、誰かに採点されるための書類にはなりません。完全に無料で、内購入もありません。