個人の原則と会社の「コアバリュー」
並べてみると、言葉はほとんど同じに見えることがあります。誠実、当事者意識、人を大切にする。それでも一方は、言いにくい一言を言うかどうか迷っている、まさにその瞬間に呼び出されます。もう一方は入社研修と全社集会で読まれ、そのあとはブランド刷新のタイミングまで会議室の壁に貼られたままです。違いは語彙ではありません。その文が破られたとき、誰が代償を払うか——この一点が違うだけで、あとのほとんどすべてが変わります。
会社のコアバリューは、そもそも誰のために書かれているか
会社の壁に貼られた数行は、たいてい少人数で起草され、起草した人数よりも多い承認者を経て、しかも読み手の多くは全社集会に座る社員ではありません。求人票で候補者が読み、資金調達資料で投資家が読み、法務がリスク台帳と照らし合わせ、広報が取締役会向けの文化のページに載せます。これは会社が不誠実だという話ではなく、その一文に課された仕事の説明です。新入社員にも、退職者にも、いざというときには相手側の弁護士にも読まれて耐えられる文は、結局誰も傷つけない形に磨かれていきます。そして「誰も傷つけない」ことと「自分の水曜日の行動を変える」ことは、最初からまったく別の目的地です。
言葉が効かなくなる三つの理由
一、破っても、それを引き受ける具体的な誰かがいない
ある普通の水曜日に、そのコアバリューが技術的には破られたとしても、たいてい気づく役目を負った特定の人はおらず、決まって発生する結果もありません。全員でまとめて所有しているルールは、実際には誰も個人としては所有していないのと同じです。所有者もなく代償もない基準は、壁にどれだけ立派に書いてあっても、もう機能を止めています。
二、規模が曖昧さを強制する
倉庫で働く人にも、営業責任者にも、入社初日のインターンにも同じように当てはまる文は、検証可能にするための具体性を持てません。ある役割向けに書いた具体的な行動は、別の役割に当てはめると無関係か、むしろ不公平に見えてしまうからです。だから文は誰もがうなずける抽象度——「誠実」「卓越」——まで後退します。そしてまさにその抽象度こそ、何をもって破ったと言えるのか誰にも指し示せない水準なのです。
三、書き直すことがガバナンスの一大事になる
公開されたバリュー声明を変えるには、ブランディングも法務レビューも、ときには報道対応まで絡みます。だから一度定まると、社内の実態を本当に説明しているかどうかにかかわらず、何年もそのまま据え置かれがちです。書き直すのに高いコストがかかるルールは、現実に照らして検証されなくなります。正直に照らし合わせれば、書き直すべきだと認めることになりかねないからです。
個人の原則にできて、共有された声明にできないこと
自分で書いた原則は、書いた人も、それを守らせる人も、読む人もすべて自分ひとりです。この一点が、経済性をまるごと変えます。具体的に書くことに何のデメリットもありません。その文が同じように成り立たなければならない、別の役割の同僚など存在しないからです。破ったときの目撃者はただ一人、自分だけなので、守るべき評判もなく、思い切って具体的に書くのを止めるものも何もありません。「誠実さを大切にしている」ではなく、「言いにくいことは、それが本来言われるべきその場で言う。あとで別の人に言うのではない」と書けます。書き直すのに五分もかからず、委員会も要りません。だからこそ、どんなルールにも本来必要な循環——使ってみる、結果を見る、うまくいかなければ書き直す——を実際に回せます。公開した瞬間に凍りついてしまうことがありません。
会社のやり方から、それでも借りる価値があるもの
根っこの発想そのものは間違っていません。あいまいな感覚を信じるのではなく、ルールとして書き出し、守れたか破れたかを示せるものとして扱う——この本能は正しく、実際に機能している個人の意思決定ルールの仕組みも、まったく同じ原理で動いています。うまくいかなくなるのは、何千人もの読み手に向けて、組織のペースで改訂するために作られた道具を、たった一人のある水曜日を導くためだけの文書に、そのまま当てはめてしまうときです。実践そのものは移せます。もともと想定していた規模は移せません。
自分のリストがどちらなのかを見分ける、一つの問い
いま自分が「原則」と呼んでいるものを取り出して、こう問うてください。ここ数か月のうちに、この一文が実際に変えた具体的な決定を一つ挙げられるか。あとから説明に使っただけではなく。その瞬間を指せるなら、それは原則として機能しています。指せるのが「もっともらしく響く文そのもの」だけなら、あなたは自分のために会社のコアバリュー・ポスターを作ってしまったことになります。読み手が一人で、フォントが少し良いだけの。直し方も同じです。自分の生活だけに当てはめたときに、守れたか破れたかを他の誰でもなく自分が判断できるくらい具体的な行動基準を、そこに一つ紐づけること。
CreedOS が組み立てられているのは、まさにこの層です。信条は共有された声明ではなく、あなた自身の原則として書かれ、普通の一日と照らし合わせられるくらい具体的な行動基準が添えられます。チェックインは既定で非公開なので、誰かに読まれることに耐えられる必要はなく、自分自身に対して正直であればそれで十分です。六領域のテンプレートが最初の一歩として用意されていて、完全無料、アプリ内課金もありません。