SNS について、アプリを開いたその瞬間にも効く個人の原則の書き方
SNS についてのアドバイスは、たいてい上限という形で届く。1日30分まで、9時以降は開かない、寝る前はスマホを別の部屋に置く。上限は決めやすいが、たいてい測っているものが違う。本当に会いたい友人二人の投稿を丁寧に20分読むことと、目的もなくスクロールして、始める前より気分が沈んだまま終わる20分は、まったく別の体験だ。だがタイマーはこの二つを区別できない。時間が経過したことしかわからないからだ。SNS についての個人の原則とは、上限をさらに小さくすることではない。目に入ったものに対して自分が何をするか、誰と自分を比べることを許すか、についてのルールであり、アプリを開く前に書いておくものだ。そうすれば、その瞬間の行方が、たまたま最初に流れてきた誰かの投稿に決められなくなる。
なぜ分数で測ることが、そもそも的外れなのか
アプリを使った時間は、バッテリーの持ちを気にするときには意味のある問いだが、多くの人が実際に抱えている不満に対しては、ほとんど答えになっていない。「スマホを使いすぎている」という悩みより多いのは、「見た後のほうが見る前より気分が悪い」とか、「自分の実際の生活を、誰かが編集し尽くした生活と比べてしまう」とか、「一つだけ確認するつもりが、気づいたら40分経っていて、そのうち一瞬たりとも自分で選んだ瞬間がなかった」というものだ。これらはどれも分数では測れない。1日10分しか使わなくても、その10分が毎回確実に気分を壊す人もいれば、1時間使って友人の子どもの写真を眺め、開く前より良い気分でアプリを閉じる人もいる。時計を基準にしたルールは、この二つをまったく同じ問題として扱ってしまう。多くの時間制限が、いつの間にか延長されたり、無効化されたり、そのまま無視されたりするのは、そもそも誰も本当にはその数字に困っていなかったからだ。
漠然とした不満ではなく、具体的な瞬間から掘り起こす
「どうすれば SNS を使う時間を減らせるか」から始めてはいけない。記事から拾ってきた数字を選ぶことになり、それが自分に実際起きていることを何も説明していないと、1週間もしないうちに気づくはずだ。代わりにこう問いかけてほしい。
- アプリを閉じたとき、開く前より気分が悪かった最後の瞬間、画面に最後に映っていたのは誰の、どんな投稿だったか。そのとき自分は、自分自身について何を思っていたか。
- 比べる気持ちを確実に引き起こす特定のアカウント、あるいは特定の種類のアカウント——元同僚、丁寧に作り込まれた誰かの日常、フィットネスや子育てや収入といったテーマ——はあるか。逆に、何の反応も起きずに見過ごせるアカウントとの違いは何か。
- 開こうと決めたわけではないのに気づいたら開いていた最後のとき、自分は実際に何を避けていたか、何の間を埋めていたか。あるいは一人の近況だけを確認するつもりが、その後さらに40分残ってしまったのはなぜか。
- スクロールした後、実際に見た具体的な内容を覚えているか、それとも数分で溶けてしまうか。溶けてしまうなら、その20分は結局何のためだったのか。
整理された不満ではなく、具体的な出来事を書いてほしい。「一人の友人の近況だけ見るつもりが、見知らぬ三人のフィットネスアカウントに流れ着き、自分の体型が『遅れている』と感じた。その『遅れ』が具体的に何を意味するのか、1時間後には自分でも説明できなかった」——これは、ルールをどこに効かせるべきかを正確に教えてくれる。「スマホを使いすぎている」は目を閉じたまま書けるラベルであり、次に同じ気持ちを引き起こす投稿を見たとき、何の役にも立たない。
アプリのアイコンについてではなく、その瞬間についてルールを書く
時間制限は、気分がすでに決まってしまった後、セッション全体を振り返って語る。原則は、アプリを開く前の瞬間、あるいはスクロールの途中でその感覚が芽生え始めた瞬間について語る。「起きてから最初の20分は SNS を開かない」は、ある瞬間についてのルールだ。引き金(目を覚ます)があり、具体的な行動があり、あなたの朝を知っている人なら誰でも、それが守られたかどうかを見て取れる。「特定の投稿と自分を比べていると気づいたら、そのままスクロールしてこの感覚が消えるか様子を見るのではなく、アプリを閉じる」は、掘り起こしの段階で見えてくる典型的な失敗を狙い撃ちする。すでにどんな気分かわかっているのに、その場に留まり、次の投稿が前の投稿の作った気分を直してくれることを期待してしまう、というものだ。
どんな原則にも当てはまる二つの検査をかけてほしい。破ることができるか——今週の中で、守ったか守らなかったかを誰かが指させる、具体的で目に見える瞬間はあるか。何かを犠牲にするか——スクロールの途中で実際にアプリを閉じさせたことも、退屈から手が伸びたときに考え直させたことも一度もない SNS の原則は、ルールではなく、ただの飾りだ。
実際に確認できる行動基準を付ける
原則そのものは広いままにしておく。その下に付ける基準は具体的で、差し替え可能なものにする。1日の最初と最後に頭に入れるものは、自分で決めるという原則であれば、有効な基準はこうなる。目が覚めてから最初の20分は、スマホを別の部屋に置いておく。同じ嫌な感覚を二回連続で残したアカウントは、罪悪感なくミュートかフォロー解除をする。退屈だからスクロールを始めたと気づいたら、続けるかどうかを決める前に、本来やるべきだったことを声に出す。どれもスクリーンタイムのレポートや週ごとの使用量グラフを必要としない。それぞれ、その日のうちに「やった」か「やらなかった」かで答えられる。それこそが、これを誰にも確かめようのない個人的な決意ではなく、確認可能なものにしてくれる。
これは「スクリーンタイム」の原則と何が違うのか
スクリーンタイムは量の問題だ——使いすぎている、間違った瞬間に使っている、睡眠や本来あるべき会話を押しのけている。SNS はむしろ、たまたま画面の中で起きている、内容の問題であることが多い。本当のダメージは長さではなく、比較のループであり、あなたがどの投稿でスクロールを止めずにいるかをすでに学習したアルゴリズムのフィードであり、誰かが選び抜いたハイライトと自分の平凡な火曜日との間の落差だ。一般的なスクリーンタイムのルールは、分単位で正確に守ることができる——9時以降はスマホを置く、1日30分まで——それでも、アプリを開けば比較のループはそのたびに作動する。使用時間を短くしたところで、あなたを本当に刺してくる一つの投稿を防ぐことにはならないからだ。だからこそ、これは別の問題のために書かれたスクリーンタイムのルールに便乗させるのではなく、独立した原則が必要になる。時間の上限は、その許された数分間の中で実際に何が起きるかについて、何も語っていない。
実際に自分を不快にさせたそのスクロールで、原則を試す
実際に後悔した具体的なセッションを一つ選んでほしい。「スマホを使いすぎている」という漠然とした感覚ではなく、まだはっきり思い出せる一回のスクロールと、気分がどの投稿やアカウントから悪くなり始めたかを。その原則を正直に当ててみる。その具体的な瞬間でアプリを閉じていたら、あるいはそもそもその瞬間に開いていなかったら、その日の残りが変わっていたなら、その原則には牙がある。そのまま残そう。何も変わらないなら、このルールは狙っている瞬間を間違えている可能性が高い。本当の引き金は退屈だったのかもしれないし、避けていた気まずい会話だったのかもしれない。アプリそのものではなく。手放すのではなく、書き直す価値がある。自分の履歴の中に見つけたパターンそのものは本物であり、最初に書いた一文が、それが実際に始まる場所にまだ正確に届いていなかっただけだ。
SNS の使い方は、人間関係と感情という信条のテンプレートの中によく現れる。それ以外にも効率・お金・健康・認知があり、CreedOS がテンプレートを用意する六つの領域を構成している。それぞれに厳選された信条と、すでに書かれた行動基準が用意されており、そのまま使ってもいいし、自分が実際にスクロールが偏り始めるアカウントや時間帯、感覚を言い当てるまで、自分で書き直してもいい。完全無料で、アプリ内課金もない。