自分の原則を「年に一度」振り返るやり方
週の振り返りが答える問いはひとつ、「今週、自分の原則を生きたか」。年に一度の振り返りが答えるのは別の問いだ、「この原則たちは、今もまだ持っておくべきものか」。この二つ目の問いは、週の振り返りをどれだけ正直にやっても、一週間の中からは見えてこない。一年分の材料と、それを見るための別の視点が要る。週の振り返りしかやっていないと、いつの間にか「今の自分」を描かなくなったリストを、それでも律儀に実践し続けることになりかねない。
週の振り返りには構造的に見えないもの
週の振り返りは近くを見るための仕組みで、だからこそ役に立つ。基準の緩み、調子の悪い一週間、今週だけこっそり避けていた原則——そういうものはよく拾える。逆に、何ヶ月分も重ねてはじめて形になるものは、そもそも拾えるようにできていない。
週の振り返りから特に隠れてしまう三つのものがある。視野を十分に引かないと見えないからだ。
「生きている」ようで、実は何も試されていない原則
毎週高得点が続く原則の中には、意志とは関係のない理由によるものもある——それを試すはずの状況が、たまたま起きていないだけだ。「仕事を安請け合いしない」という原則は、余裕のある四半期には守るのがたやすい。一週間ずつ見れば、静かな成功のように見える。一年通して見れば、単に何ヶ月もまともに問われていなかっただけかもしれない。
いつの間にか「こなすだけ」になった行動基準
行動基準は本来、確かめやすく、ごまかしにくいものであるはずだ。ところが数ヶ月もすると、確かめる方は簡単なままごまかしやすくなる場合がある——基準の文言はこなしているのに、原則が本当に守ろうとしていたものには触れていない、という状態だ。この緩みは週単位では見えない。毎週の記録が前の週とほとんど同じに見えるからだ。何ヶ月分かをまとめて読み返して、はじめて見えてくる。
ずっと衝突し続けている二つの原則
二つの原則が本当にぶつかったとき、多くの場合その場でどちらかに軍配を上げて先に進む——実際の決断の最中に、「今年これで四回目、いつも同じ方が静かに負けている」と気づく余裕はあまりない。一週間の振り返りが見えるのはその一回だけ。年に一度の振り返りだけが、そのパターンを見ることができる。そして負けている側の原則に、明文化された例外が必要なのか、書き直しが必要なのか、それとも役目を終えたのかを、本当の意味で判断できるのはここだけだ。
材料を集める——記憶に頼らない
一年は、漠然とした印象だけで振り返るには長すぎる。実際に何があったかに関わらず「まあまあの一年だった」という情報量のない結論に落ち着きがちだ。週の振り返りや決断の記録をつけてきたなら、それが素材になる。やるべきは記憶で要約することではなく、通して読み返すことだ。特に見るべきなのは次の点。
- どの原則の記録も、いつも似たり寄ったりになっていないか——それはその原則が、良くも悪くもまだ試されていないというサインだ。
- どの原則について、言い訳を書くことが一番多かったか——繰り返される言い訳は、たいてい原則がもう今の生活に合っていないか、原則の顔をした自己正当化のどちらかだ。
- 今年あった本物の決断のうち、参考にできる原則が手元になかったものはどれか——それは新しい原則が本当に必要になる隙間で、想像上の出来事ではなく実際に起きたことから来ている分、信頼できる。
記録が何も残っていない場合、感覚だけで一年をまとめようとしないほうがいい。代わりに、最初に原則を書いたときと同じように、もっと具体的な三つの問いに答える。今年いちばん良かったと思える決断は何で、それを選ぶために何を諦めたか。いちばん後悔している決断は何で、当時わかっていたのに無視したことは何か。他人にはよく助言するのに、自分では実行できていないことは何か。漠然とした一年の印象より、具体的な三つの話のほうがずっと頼りになる。
年末に実際に変わること
年に一度の振り返りは、ゼロから新しい原則を書く場ではない。一年分の証拠を前にして、すでにある原則をどう扱うかを決める場だ。
もう解決した問題のための原則は、役目を終わらせる。 ある仕事、ある関係、人生のある時期のために書かれた原則が、その時期の終わりとともに役目を終えることがある。それは失敗ではなく、完了だ。愛着だけで残しておくと、本来参照するはずのリストがただ重くなるだけになる。
繰り返された例外は、独立した原則に格上げする。 今年、同じ原則に対して「今回だけ」という例外を何度も作っていたなら、それは原則が弱いのではなく、まだ書かれていないもう一つの原則が紙面に出ようとしている合図であることが多い。それを書き出し、二つの原則を正直に共存させれば、片方がもう片方をこっそり上書きし続けなくてすむ。
上の原則には触れず、基準だけを書き直す。 転職、引っ越し、関係の新しい段階など、状況は変わる。去年の状況に合わせて書いた行動基準が意味をなさなくなっても、その上にある原則自体は今でも正しいままということがある。基準と原則を分けて書いておく意味はまさにここにある。基準は使い捨てにしてよく、原則はそうではない。基準を書き直すのは日々の手入れであって、敗北ではない。
一度も破ったことのない原則こそ、よく見る。 一年間、一度も違反していない原則は、誇るべきものというより、疑ってかかるべきものだ。本当の試練にまだ出会っていないか、あるいは「破った」と言えるようなことがそもそも起きないくらい、優しく書かれすぎているかのどちらかだ。どちらにしても、必要なのはより厳しい基準であって、勝利宣言ではない。
いつやるか
習慣だからという理由だけで、元日にやるのは避けたほうがいい。元日には「心機一転、すべてリセット」という特有の文化的な重みがあり、それは今あるリストを正直に見直すことよりも、野心的な新しいリストを書くことへと人を押し流しやすい。それはまったく別の作業で、うまくいく確率もずっと低い。誕生日、原則のリストを最初に書いた日の記念日、自分のカレンダーに実際に合った仕事年度の締めなど、自分にとって意味のある日を選ぶといい。大事なのは、みんなが使っている日ではなく、自分が意図して選んだ日だということだ。
作業自体は監査のように仰々しくせず、短く落ち着いてやるくらいでちょうどいい。一年分の記録をひと通り読み、上の問いをひと通り確認し、役目を終わらせるもの・格上げするもの・書き直すものを短くリストアップすれば十分だ。これは自分の一年との対話であって、それに点数をつける人事評価ではない。
CreedOS は、まさにこの瞬間のために背景で材料を残している。信条を編集するたびに、なぜ変えたのかがバージョン履歴に残り、振り返り画面はカテゴリ別に成績を分けて見せてくれるので、この一年いつの間にか触れなくなっていたカテゴリが、平均点の裏に隠れることなく見えてくる。それでも、年に一度実際に座って読み返すという作業の代わりにはならない——ただ、漠然とした一年の印象に頼らずにすむだけの材料が、日付つきで、自分自身の言葉のまま、そこに残っているということだ。完全無料で、アプリ内課金もない。