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個人の原則は非公開にすべきか、それとも誰かに話すべきか

ほとんどの場合、非公開でかまいません。個人の原則が機能する仕組み——ルールを書く、実際の決定に照らして検証する、失敗したら改訂する——のどの段階にも、他人がその存在を知っている必要はありません。「原則は貼り出して、公開の場で話し合うもの」というイメージは、ある一つの会社が自分たちの課題に出した答えから来ているだけで、原則というもの自体が本来必要としているわけではありません。特定の相手に、特定の理由があって話すことが価値を持つ場面はあります。ですがそれは既定値ではなく、既定値として扱うと、本来その代償を払う必要のない大半の原則にまで、余計なコストを課すことになります。

「原則は公開すべき」というイメージの出どころ

このイメージのもっとも目立つ形は、あるヘッジファンドから来ています。創業者は「徹底した透明性」の文化を築きました。原則を書いて共有し、会議は録音し、意見の対立はその場の声の大きさではなく、共有された文書に立ち返って裁定する。この構造が解いているのは現実の課題です——互いを選んだわけではない数百人を、一貫したルールの上で動かし、政治力学に頼らずに対立を解決するにはどうすればよいか。ルールを公開し、公然と話し合うことは、この特定の課題に対しては筋の通った答えです。

ですが、その「組織」がひとりの人間で、自分の火曜日をどう過ごすかを一人で決めているだけなら、この課題自体が存在しません。自分自身と足並みを揃えるのに共有文書は要りませんし、裁定すべき対立を抱えた大勢の人もいません。あの体系の公開の部分だけを、それが解決するはずだった課題抜きで持ち込むのは、対応する課題のない解決策を輸入するようなものです。得るものがないままコストだけが増えます。

話すことで実際に得られるもの

話す価値がある本物の理由はあります。ただしどれも、不特定多数の聞き手ではなく、特定の種類の聞き手を必要とします。

  • もう一人の観察者は、自分の中からは見えないずれに気づいてくれます。何度もの実際の場面であなたがルールを守ったか破ったかを見てきた人は、あなたが持っていないデータを持っています。あなたが手にできるのは、そのつどの出来事についての自分自身の語り直しだけだからです。これはもっとも強い理由ですが、機能するのは、聞き手が率直な事実をそのまま返してくれる場合に限ります。あなたがすでに好んでいる筋書きに、ただ相槌を打つだけの相手では意味がありません。
  • 誰かへの接し方を定めた原則は、その相手に直接関わります。出張の頻度、共有のお金の扱い方、言い争い方についてのルールは、その結果の中でもう一人の人間が実際に暮らしているなら、純粋に内輪の話ではありません。そうした場合に黙っておくのは、慎みというより、相手が当事者である情報を伝えずにいることに近くなります。
  • 一度声に出して境界を伝えることは、黙って守り続けるだけではできない働きをします。他人は、存在すら知らないルールに合わせて自分の行動を調整することはできません。あなたが週末の仕事に本当に線を引いていると知らない同僚は、悪意なく、ただ知らないというだけの理由で、その線をたびたび踏んでしまいます。

話すことで実際に失うもの

失うのは気まずさではありません。聞き手ができることで、その原則が何のために最適化されるかが変わってしまうことです。自分自身にしか答えない規則は、実際の行動と合わなくなった瞬間に改訂されます。賭かっているのは正確さだけだからです。一方、すでに人に話してしまった規則は改訂しづらくなります。いま変えることが、暫定的なルールに当然あるべき日常の手入れではなく、後退や公開の場での過ちの認定のように読めてしまうからです。これはまさに、原則を「信念」に変えてしまう失敗のかたち——検証する規則ではなく、守り抜く規則になってしまうこと——であり、聞き手の存在はそれを起きにくくするどころか、起きやすくします。

もう一つ、より静かなコストがあります。自分だけに向けて書いた原則は、実際の自分の行動に沿った言葉になります。誰かを、たとえ無意識にでも意識して書いた原則は、その相手にとって立派に聞こえる方向へじわじわと寄っていきます。そして、聞き手にとって響きのよい言葉が、プレッシャーの下での実際の行動を言い当てる言葉とは限りません。その差は自分から名乗り出てはくれません。気づかないうちに、その文書はあなた自身を描写することをやめ、声に出して読んだときに聞こえのよい「あなた」を描写するようになっていきます。

中間の選択肢——境界だけを話し、文書は手元に残す

話すことは、沈黙かリスト全部の開示かの二択ではありません。相手にとって普通は大事なのは行動であって、あなたの内部の言葉づかいや改訂の経緯ではありません。パートナーが知る必要があるのはたいてい「これからは週末の仕事にもっと断りを入れるようにする」ということであって、書いた一言一句や、途中で捨てた二つの案ではありません。境界は伝える。下書きの過程——非公開のまま間違えて、静かに直せる部分——は自分の手元に残す。

原則ごとに決める、簡単な方法

これはリスト全体について一度だけ下す決定ではありません。原則ひとつひとつについて、こう問います。

  1. これは特定の誰かへの接し方を定めたものか。 そうであれば、文書そのものは知らなくても、その境界を相手が知る資格はたいていあります。
  2. 誰も見ていないとき、この原則については自分に言い訳をしていると、すでにうすうす気づいているか。 そうであれば、率直な事実をそのまま返してくれる一人の存在は、声に出す気まずさより価値があります。
  3. まだ検証中か。 自分の中でまだ議論が続いているルールに、聞き手はまだ必要ありません。まずは非公開のまま、いくつかの実際の場面を乗り切らせましょう。
  4. 相手が知ることで、あなたへの接し方がより良い方向に変わるか。 そうであれば、それだけで十分な理由になることが多いです。

避けたほうがよい「共有」のかたち

近ごろよく見られるように、個人の原則のリストをまるごと公開の場に投稿することは、上に挙げたコストだけを持ち込み、それが元の組織で機能した理由だった具体的な利点は持ち込みません。その文書に依存するチームはいませんし、裁定すべき対立もなく、透明性を対等にする構造もありません。残るのはおおむね演技であり、実際の決定に照らして規則を検証することをやめる一番早い方法は、その決定を決して目にすることのない読み手にどう読まれるかに合わせて最適化を始めることです。

CreedOS がすべてをまずデバイス上に書き込むのは、この理由の一つでもあります。信条とその行動基準は、まず何よりもあなた自身にとって役立つように作られています。誰かに見せるかどうかは、そのあとの話です。共有するかどうか、するとしていつか——それは今も、ひとつの関係についてそのつどあなたが下す判断のままであり、ツール側があらかじめ決めておくことではありません。完全に無料で、アプリ内課金もありません。