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人にフィードバックを伝えるときの、自分が本当に守れる個人原則の書き方

「気になることがあれば言うべきだ」は、ほとんど誰もが頭では同意する助言です。それでもほとんどの人が、誰かに言おうと思いながら結局言えなかったことのリストを持っています。不誠実だからではなく、その瞬間が一度も「今だ」と感じられなかったからです。フィードバックを伝えることについての個人原則は、「もっと全般的にコミュニケーションを取ろう」という決意ではありません。何か言うべきことに気づいた、まさにその瞬間に、今言うか、あとに取っておくか、流すかをその場で決めるための規則です。今まさに何かを我慢していない、ふつうの日に決めておくものです。

「もっと率直に」がルールとして機能しない理由

「もっと積極的に伝えよう」「早めに言おう」「溜め込まないようにしよう」——これらは「もっと正直になろう」と同じ理由で失敗します。自分が全般的にこうありたいという状態を描いているだけで、実際にやったかやらなかったかを判定できる具体的な瞬間を、一つも指し示していないのです。自分は言うべきことを言う人間だと本気で信じていても、数か月経ってふと気づくと、出会ったその日からずっと気になっていた同僚のあの癖について、一度も口にしたことがなかった、ということが起こります。「もっと率直に」ではこれを防げません。その場で気づけるくらい小さな瞬間を、そもそも一度も指し示していないからです。

二つの失敗は正反対で、たいてい自分はどちらか一方に偏っている

「フィードバックがうまくできない」は、たいてい二つのまったく違う問題のどちらかを指していて、どちらなのかを見極めることが大切です。対処法が正反対だからです。

一つ目は、溜め込んでいくパターンです。小さなことが起きて、言うほどのことではないと判断する——一度目はそれで正しいのです。同じことがまた起きて、また同じ判断をする。今度はそこに、前回言わなかった分の説明までしなければならない気まずさが加わります。四回目、五回目になる頃には、もう小さなことを我慢しているのではなく、パターンそのものと、そのパターンについて自分がずっと黙っていたことの両方を抱えていて、最終的に出てくる反応は、きっかけになった出来事と釣り合わないほど大きなものになります。小さなことが過剰な反応を引き起こすのは、それが最初から小さなことの話ではなかったからです。

二つ目は、同じ名前を持つ正反対の問題です。フィードバックは実際に口にされるのですが、何が起きたかの描写ではなく、相手への断定として伝えられてしまいます。「あなたは締め切りにだらしない」は人格への非難として届き、「直近二回、締め切りに間に合わず、しかも当日まで知らされなかった」は二つの具体的な出来事の描写です。前者も自分が信じている意味では正直ですが、行動の変化ではなく反論を引き出しがちです。人格への断定は議論する対象であって、実行に移す対象ではないからです。

ほとんどの人は、この二つのどちらかに大きく偏っています。方向を間違えたルールは役に立ちません。もともと思ったことをすぐ口にしてしまう人に「もっと率直に」と言えば、問題はむしろ悪化しますし、もともと溜め込みがちな人に「もっとよく考えてから言おう」と言えば、黙っている口実を一つ増やすだけです。

自分がどちらかを推測せず、自分の履歴から掘り出す

「自分はフィードバックが得意か」から始めないでください。代わりにこう問いかけます。

  • 誰かに伝えようと思いながら、二週間以上経っても言えていないことはないか。言いかけるたびに、具体的に何が引き止めていたか。
  • 最後に何か批判的なことを言ったときを思い出すと、それは前もって考えていたことだったか、それとも自分で選んでいない瞬間——口論の最中、長い一日の終わり、他の人がいる前——に出てしまったものだったか。
  • そのとき実際に言ったのは、起きたことの描写だったか、それとも相手がどういう人間かについての断定だったか。
  • ある関係において、自分がもう何も言わなくなっていることに気づくものはないか。前に試してうまくいかなかったから、あるいは何も変わらなかったからではないか。

整理された自己評価ではなく、具体的な出来事を書いてください。「ルームメイトが食器を私に残していくことに三週間イライラしていて、毎晩、今夜は言うタイミングじゃないと判断し続けている」——この一文は、ルールがどこに置かれるべきかを正確に示しています。「もっとオープンにコミュニケーションを取るべきだ」は、自分の傾向について何も学ばなくても書けてしまう一文で、次に食器がまだシンクに残っていたときも何の役にも立ちません。

意図ではなく、「きっかけ」と「言い方」にルールを書く

ここでの原則には二つの部分が必要です。上に挙げた二つの失敗が、それぞれ違う瞬間の話だからです。何かを言おうと決める瞬間と、決めたあとにどう言うかという瞬間です。

溜め込むパターンに対しては、気分ではなく閾値についてのルールにします。同じことが二度気になったら、三度目が来る前に言葉にするは、具体的で数えられるきっかけを指し示しています——実際にそのとき言ったのか、また「二度目」に戻してしまったのか、あとから正確に言えます。断定するパターンに対しては、形式についてのルールにします。起きたことと、それがもたらした影響を描写する。相手がどういう人間かについては言わないは、言葉を発する前に照らし合わせられる基準になります。言ってしまったあとではなく。

どんな原則にも当てはまる二つの検証をしてみます。実際に違反できるか——守ったか守らなかったかを正直に言える具体的な場面があるか。何かを犠牲にしているか——黙っているほうが楽なときに一度も自分を後押ししない、あるいは言ってしまいそうな一言を一度も止めないルールは、規則ではなく飾りです。

誰かが確認できる行動基準をつける

原則そのものは一般的なままにしておき、その下の基準は、他の誰か——あるいは一週間後の自分——が達成したかどうか判断できるくらい具体的にします。怨みに変わる前に、気になったことは口にするという原則であれば、使える基準はこうです。同じことが二度目に起きたら、三度目を待たず一日以内に伝える。一般的な傾向ではなく、具体的な一つの出来事を描写する。何が問題だったかだけでなく、次にどうしてほしいかを伝える。怒りを抱えたまま言おうとしていると気づいたら、それが収まるまで待ってから言う。これらはどれも、会話がうまくいくことを条件にしていません。ただ、あとから振り返って実行したかどうかを言えることだけを求めています。これが、自分も含めて誰も確認できない胸の内の決意に終わらせない仕組みです。

「正直さ」の原則、「批判の受け止め方」の原則との違い

正直さについての原則が管理するのは、すでに話している最中に何を言うか——自分が本当だと思っていないことを事実として語らない、という部分です。フィードバックを伝えることについての原則が管理するのは、その一つ手前です。誰にも求められていない観察を、それを実際に活かせる相手に向けて、あえて口にするかどうか。黙っているほうが楽で、しかも同じくらい正直でいられる選択肢があるときに。誰よりも正直でありながら、小さなことが一か月かけて怨みに育つのを放っておくことは十分にありえます。足りなかったのは正直さではなく、「言う」という決断だったからです。そしてこれは、批判の受け止め方についての原則を別の角度から見たものではなく、その鏡像です。あちらは、誰かに痛いことを言われたあとの十秒間を管理します。こちらは、自分が誰かに痛いことを言う前の瞬間を管理します。種類の違う難しさで、時間軸も違い、たいてい違うルールが必要になります。

今まさに我慢していることに照らして検証する

上で掘り出した具体的な出来事——あの同僚、あのルームメイト、あの友人——に、このルールを直接当てはめてみてください。このルールがあれば今頃もう、そこに書かれたやり方で何か言えていたはずだと思えるなら、それには実効性があります。そのまま残してください。この具体的な状況について何も変わらないと感じるなら、ルールが違う瞬間を狙っていて、書き直しが必要です。放棄する必要はありません。見つけたパターン自体は本物で、最初の一文がそこに届いていなかっただけです。ここでもう一つわかるのは、自分が書いたこのルールが本当に自分のものなのか、それとも自分とは逆方向でつまずく人向けの助言を借りてきただけなのか、ということです。

ソーシャルは CreedOS が用意する六つの領域の一つで、効率性、感情、お金、健康、認知と並んでいます。白紙から書くより、既存の形から始めたい場合はテンプレートを使えます。毎日のチェックインには、点数だけでなく具体的に何が起きたかを書けるメモ欄があり、この種のルールが本領を発揮するのはまさにそこです。ずっと言おうと思って言えずにいることのパターンは、普段は気づきにくいものですが、一週間分のメモを並べて振り返りで見返すと、たいてい一目でわかります。無料で、アプリ内課金は一切ありません。