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その決断が本当に正しかったのか、それともただ運が良かっただけなのかを見分ける方法

決断とその結果は別の出来事で、判断だけでなく運によってもつながっています。そしてそのずれの大きさを、ほとんどの人はきちんと計算していません。安全な方ではなく別の選択肢を取った仕事が結局うまくいかなかった——判断が間違っていたのか、それとも合理的な賭けがたまたま裏目に出ただけなのか。言い争いを避けたのに、結局あとで同じことが噴き出した——黙っていたのが間違いだったのか、それとも言っても同じように、ただ早く噴き出しただけなのか。正直に答えるには、一つに感じられる問いを二つに分ける必要があります。この決断はよく決められたか、そしてこの決断の結果は良かったか。この二つは同じ問いではなく、混同することこそが、自分の過去から間違った教訓を学んでしまう最大の原因です。

結果だけでは学べない理由

結果だけを見ると信頼できない情報源になる理由が三つあります。

一、たいていの決断には自分でコントロールできない偶然が絡む

よく考え抜かれた選択が、それでも悪い巡り合わせに負けることはありますし、雑な選択が、今回はたまたま罰を受けずに済んだだけで勝つこともあります。結果だけで評価すると、時に「無謀なやり方でもうまくいく」と結論づけてしまいます——一度うまくいっただけなのに。逆に「堅実なやり方はダメだ」とも結論づけてしまいます——たまたまこの一回がうまくいかなかっただけなのに。どちらの結論も間違っていて、しかもそう考えている最中は、まるで苦労して得た知恵のように感じられます。

二、自分が選ばなかった枝は最後まで見えない

断った仕事のオファー、避けて代わりに別の会話を選んだこと——そうした分岐は結果が出ないまま終わるので、実際に起きたことと、もし別を選んでいたらどうなっていたかを比較することはできません。結果だけを見て決断を評価することは、もう片方の選択肢がすべてうまくいっていたはずだと、こっそり前提してしまっているということでもあり、それはほとんど公平な比較ではありません。

三、結末を知った瞬間に、記憶の中の物語が書き換わる

結果を知った瞬間、決断前にどれくらい確信を持っていたかという記憶は、その結果に合わせて調整されます。当時は本当にコイン投げのようだった選択が、あとから振り返ると「わかりきっていた」ことになる——「うまくいくとわかっていた」にせよ「予想できたはずだ」にせよ、方向はどちらもありえます。これは自分をごまかしているわけではなく、記憶がもともとそう働くというだけのことです。つまり、たとえ数週間しか経っていなくても、自分の当時の推理についての記憶は、手を加えずには信用できないということです。

分けて考える二つの評価

どんな決断にも、プロセスの評価——当時実際に知っていたことを踏まえて、その推理は理にかなっていたか——と、結果の評価——実際にうまくいったか——の二つがあります。身につける価値のある技術は、この二つを同時に持ちながら、片方がもう片方を汚さないようにすることです。プロセスが良くて結果が悪かったのなら、それは過剰に反省すべき損失ではありません。プロセスが悪くて結果が良かったのなら、それは繰り返すべきではない勝ちです。後者のほうが厄介です。良い結果は「もう推理を見直さなくていい」という許可のように感じられ、それこそが悪い習慣が修正されずに強化されてしまう瞬間だからです。

プロセスを正直に評価する方法

今知っていることではなく、決断したその瞬間について問いましょう。

  • 今知っていることではなく、当時実際に何を知っていたか。正直なリストを書き出してください。もし考えを変えていたはずの情報が当時手に入らなかったのなら、その決断をその情報で評価するのは公平ではありません。
  • 現実的な選択肢をきちんと検討したのか、それとも最初に思いついたものだけだったのか。急いで下した決断が自動的に間違いというわけではありませんが、本当に比較検討した決断とは別の種類のものであり、振り返り方も変わってしかるべきです。
  • 同じ不確実さを抱えたまま、結果を知る前に戻ったとしても、同じ選択をするか。これこそがプロセスと結果を実際に切り分ける問いです。答えるときは、結果がわかった瞬間ではなく、決断したその瞬間、同じ情報の欠けた状態に自分を戻して考えてください。
  • 信頼できる状態で決めていたか——それとも急いでいた、疲れていた、怒っていた、おだてられていた、早く終わらせたくて仕方なかったのか。もっともらしく見える決断でも、悪い状態から下されたものは、たいてい良い結果の皮をかぶった悪いプロセスです。状態は論理と同じくらい重要です。

具体例

チームも使命も本当に良さそうに見えたので、より安全な方ではなくそちらのオファーを取った。十八か月後、会社は資金が尽きた。結果の評価は悪い——また仕事を探すことになる。プロセスの問いは別です。当時実際に確認できたこと——チームの実績、聞かされていた資金の残り期間、自分で確認した紹介先の話——を踏まえれば、それは合理的な賭けだったか。慎重な人ならするはずの確認をきちんとしていて、会社が単に事前には知りようのない何かにぶつかっただけなら、プロセスは健全だったのであり、教訓は「小さな会社に賭けるな」ではありません。それはほとんど何の教訓でもなく、悪い結果もある程度含まれているとわかっていた分布に、また一つデータ点が加わっただけです。逆に、オファーにおだてられて紹介先への確認を飛ばし、資金の残り期間もよく見ていなかったのなら、結果がどうであれプロセスは弱かったのであり、それこそが次のオファーの前に直すべきことです。

決断日記が唯一実用的な検証方法である理由

これは記憶だけでは成り立ちません。理由はすでに述べた通りです。座って考える頃には、自分の推理についての記憶は、結果によってすでに書き換えられています。この二つの評価を本当に切り分ける唯一の方法は、結果を知る前にプロセスを書き留めておくことです——何を予想していたか、おおよその確信度、本当の理由、そして何があれば考えを変えていたか。決断したその瞬間に書いた決断日記の記録こそが、あとで結果と照らし合わせる基準になります。それがなければ、「同じ状況ならまた同じ選択をするか」という問いは、完全には信用できない記憶で答えることになり、結果を別の名前で評価し直しているだけに、いつの間にか戻ってしまいます。

これが「うまくいかなかった一週間」の見方をどう変えるか

この切り分けは、一つの重大な決断だけでなく、価値観の振り返りにも当てはまります。一週間がうまくいかなかった理由が、自分の判断とはまったく関係ないこともあります——自分の手が届かない仕組みが不調だった、誰かが気持ちを変えた、なんでもない一日に、なんでもない不運が降ってきた。その一週間を「どうだったか」だけで振り返ると、間違った結論に至りがちです——無謀な選択がたまたまうまくいって、根拠のない自信を持ってしまうか、うまくいかなかったことで、実際には試されてすらいなかった原則を、根拠なく疑ってしまうか。「当時知っていたことと当時の状態を踏まえて、この背後の推理は理にかなっていたか」と問うのはより難しい問いですが、それこそが、何かを変えるべきか、それとも悪い一週間をただの悪い一週間として済ませていいのかを教えてくれます。

CreedOS には毎日のチェックインと、その裏側の傾向を見せてくれる振り返りがあり、その日その日の結果とは切り離して、当時の状態と理由を書き留めておく自然な場所になります。完全に無料で、アプリ内課金もありません。